EGYPTも過ぎちゃった!!!
2005年3月13日 日常またまた久々の日記だぁ><
ケニアで象の孤児院&サファリに行って
悲しいと同時に「JAMBO!」な気分になり、
独立間もないエリトリア(超マイナー)で
爆撃跡や物を取り合う貧しい子供たちに会って切なくなり、
そして旅のべる的超メイン、エジプトは
ツタンカーメンのいる博物館&ギザの3大ピラミッドへ!!!
まずケニア。
もう、何もかもがBig&Open!!!
出会った人みんな「JAMBO!(ハ〜イ)」
砂っぽい通りを抜けた国立公園では、
どこまでも木、草、土、そして空。。
あんな光景見たことなかった!
第一、日本では狭くて不可能だぁw
こんな所に泊まる場所なんてあるん・・?と思ってたら
ロッジはめっちゃ豪華でリゾート気分だし、
近くの水飲み場にはバッファローの大群にゾウの親子。
でも・・ゾウと言えば、象牙の密猟。
なんと日本が、今でも需要No.1。これにはショック。
しかも、何よりショックだったのはその取り方。
あたしは実はずっと象牙は根元かた切り取るモノだと思ってた。
でも全然違う。
毒矢やワイヤーの罠で半殺しにした後、
眉間からハンマーで骨ごと砕く。
そして、つながった両方の牙を、根こそぎ抜き去る。。。
目の前で親を殺された小象が保護されているのが、
あたしの行った孤児院。
ゾウって、本当に大きい。何よりも心が。
だって、親を殺した人間に保護されるなんて、どんなに辛い!?
ゾウは頭がいいから、一度嗅いだ人間のにおいだって一生忘れない。
自然死した仲間の死がいを見つけると、
象牙を人間に持ち去られるのを嫌がって
自ら牙を踏み潰すゾウもいるという。
初めは小象たちも、もちろんためらう。
でも仲間の応援で、この人たちはいい人なんだ、って覚える。
あんなにやさしい目をゾウがしてるなんて、知らなかった。
近寄ると、鼻を寄せてくる。
ほんの一瞬かいだあたし達のにおいも、一生忘れないんだそう。
あたし達には、里親になる権利が与えられた。
定期的にEメールで、選んだ小象の状態をしらせてくれるんだって。
べるの「子供」は「サランゴ」。
初めに会って、離れられなくなってしまった、目のキレイな男の子。
また会いにいきたいなぁ。。。
次、エリトリア。
1993年にエチオピアから独立したばっかりの、
アフリカ一若い国。
もちろん観光客なんて来ない!
街はいたる所に銃撃戦のあとが見受けられて痛々しい。
でも、これからの国。人々は未来を見てる、そんな国だと思った。
べるは、戦後めったに動かなくなったという、機関車に乗せてもらった。
走り出すと同時に、驚いて手を振る現地の人たちが印象的。
あたしたちが乗ってしまっていいんだろうか・・って気分になった。
途中、少し切ない出来事が。
乗客の一人の日本人が、子供達にお菓子をあげてしまった。
次々と群がり、倍、また倍に増える子供。
でも、全員にいきわたるわけもない。
小さい子は、取り残されてしまう。
一番見たくなかった光景だった。
でも、日本の戦後もこうだったに違いない。
難民キャンプのテントの山にも出会った。
人が住んでるようには見えない。。
国内でも、難民が出てしまうという状態。
ただただ、見つめてカメラのシャッターをきる事しかできなかった。
汽車は進んで、どんどん周りには何もなくなった。
見渡す限りの砂と山。
爆弾の破片も見える。
これからこの国はどうなって行くんだろう。。。
20年後30年後に、またきっと訪れたいな。
でも日本のようにはなってほしくない。
自然と人とが共存して、ケニアみたいに笑顔がいっぱい。
そんな国になっててほしいと思う。
そして!!!エジプトにやってきた!!
超世界史マニアだったべるにはもうヨダレもん★w
まずはツタンカーメンのいる博物館に行ったのだけど・・・
絶句。。
人、多すぎ。
ガイジン、そのまたガイジン、そしてガイジンガイジン(うちら)
入るまでにどんだけの観光客を見たんだろう。
さすが、世界最古の観光地。
中に入ってさらに唖然。
いろいろありすぎ!!!
めっちゃランダムに、超貴重(であろう)歴史物がおかれてる。
しかも、説明とか、て・・・適当・・・。
なんの神様かわからんっちゅーの。
なんで半分鳥なん!?
しかも「惜しい」ツタンカーメン、何人いるの!?
あれじゃない、これはちょっとブサイク、
あのギンギラギンなのは何処!?
・・・と、エジプトの人に訊いて連れてってもらうと、
あ・・普通にあった!!!
しかもまたまた一段と人だかり。。。
感動する間もなく、一目見て疲れました。
でも、ホントに綺麗だった!
資料集、そのまんまw
そしていよいよ!ピラミッド★★
・・と思ったら、あれ、ビルの向こう、あれ?
もう見えてるやんっ;;
カイロはやっぱり大都市で、おっきな建物に埋もれて
なんの前置きもなくピラミッドちゃんはいました。
ここでもまた人人人。。。。
詳しくは、帰ってから写真とともに。
〓〓〓〓
ちょっと最近、疲れ気味。。。
過食は「してない」けど、気分的な過食は何回もしてる。
そのたびに、一番空いてるトイレに篭る。
こんな事。一番あってはいけないのに・・・!!
わかってる。ピラミッドを見て感動したからって、
急に治るモノじゃないって事は解ってる。
でも、悔しい。
まだ部屋の子にも打ち明けていない。
一人で心の中で泣いて叫んで、また次の日がんばるだけ。
体重なんてどうなったかわからない。
国に行くたびに、普通に食べられるんだけど・・・
船に戻ると、食べ過ぎた後悔の気持ちと食べたくない気持ち、
でも人の目が気になって気になって・・。
食事に関しては、今ホントに困ってるかもしれない。
ごめんなさい。
1/3以上が過ぎたのに。
何も変わってないのかな、あたし・・・・。
正直に言うと。
日本に帰りたい。ひとりになりたい。
誰もいない部屋で思いっきり過食して吐いて、泣き叫びたい。
元気でいたくないのかもしれない。
こうやって不完全でいて、心配されたいのかもしれない。
ずっともう、頑張るなんてことしたくないのかもしれない。
逃げたくて逃げたくてたまらないのかもしれない。
そんな事を考えると、怖くて怖くてたまらない。
日本に帰って、旅を許してくれた親に応えられるだろうか。
周りの人を納得させるくらい、強くなっているんだろうか。
わからない。
わからない。
とにかく怖くてたまらない。
いつ壊れるかわからない。
これじゃいけないんだ。いいワケないよ。
お母さん、ごめんね。
今、元気じゃないかも、あたし。。
でもまた電話して、明るい声聞かせるから。
毎回寄港するたびに、
日記のように出来事を思いっきり書いた絵はがきを1枚、
詩みたいに気持ちをただ吐き出した絵はがきを1枚書いてる。
1枚めは実家へ。
もう1枚は自分のうちへ。
帰って、ポストに溜まった絵はがきを読んで、
どう思うかはあたし次第。
どうか、ああ、こんなことも思ってたなって、
笑える自分になってたいんだ。
お願いだから。
負けるな、自分。
途中で帰るなんて許さないから。
一周してみないと解らない!
あさっては、リビア。
もう盛りだくさん!!!
そして変わって、イタリア、フランス、カナリア諸島。
どんなことが待っているんだろう。
あたしのパワーは、どんなものなんだろう。
ケニアで象の孤児院&サファリに行って
悲しいと同時に「JAMBO!」な気分になり、
独立間もないエリトリア(超マイナー)で
爆撃跡や物を取り合う貧しい子供たちに会って切なくなり、
そして旅のべる的超メイン、エジプトは
ツタンカーメンのいる博物館&ギザの3大ピラミッドへ!!!
まずケニア。
もう、何もかもがBig&Open!!!
出会った人みんな「JAMBO!(ハ〜イ)」
砂っぽい通りを抜けた国立公園では、
どこまでも木、草、土、そして空。。
あんな光景見たことなかった!
第一、日本では狭くて不可能だぁw
こんな所に泊まる場所なんてあるん・・?と思ってたら
ロッジはめっちゃ豪華でリゾート気分だし、
近くの水飲み場にはバッファローの大群にゾウの親子。
でも・・ゾウと言えば、象牙の密猟。
なんと日本が、今でも需要No.1。これにはショック。
しかも、何よりショックだったのはその取り方。
あたしは実はずっと象牙は根元かた切り取るモノだと思ってた。
でも全然違う。
毒矢やワイヤーの罠で半殺しにした後、
眉間からハンマーで骨ごと砕く。
そして、つながった両方の牙を、根こそぎ抜き去る。。。
目の前で親を殺された小象が保護されているのが、
あたしの行った孤児院。
ゾウって、本当に大きい。何よりも心が。
だって、親を殺した人間に保護されるなんて、どんなに辛い!?
ゾウは頭がいいから、一度嗅いだ人間のにおいだって一生忘れない。
自然死した仲間の死がいを見つけると、
象牙を人間に持ち去られるのを嫌がって
自ら牙を踏み潰すゾウもいるという。
初めは小象たちも、もちろんためらう。
でも仲間の応援で、この人たちはいい人なんだ、って覚える。
あんなにやさしい目をゾウがしてるなんて、知らなかった。
近寄ると、鼻を寄せてくる。
ほんの一瞬かいだあたし達のにおいも、一生忘れないんだそう。
あたし達には、里親になる権利が与えられた。
定期的にEメールで、選んだ小象の状態をしらせてくれるんだって。
べるの「子供」は「サランゴ」。
初めに会って、離れられなくなってしまった、目のキレイな男の子。
また会いにいきたいなぁ。。。
次、エリトリア。
1993年にエチオピアから独立したばっかりの、
アフリカ一若い国。
もちろん観光客なんて来ない!
街はいたる所に銃撃戦のあとが見受けられて痛々しい。
でも、これからの国。人々は未来を見てる、そんな国だと思った。
べるは、戦後めったに動かなくなったという、機関車に乗せてもらった。
走り出すと同時に、驚いて手を振る現地の人たちが印象的。
あたしたちが乗ってしまっていいんだろうか・・って気分になった。
途中、少し切ない出来事が。
乗客の一人の日本人が、子供達にお菓子をあげてしまった。
次々と群がり、倍、また倍に増える子供。
でも、全員にいきわたるわけもない。
小さい子は、取り残されてしまう。
一番見たくなかった光景だった。
でも、日本の戦後もこうだったに違いない。
難民キャンプのテントの山にも出会った。
人が住んでるようには見えない。。
国内でも、難民が出てしまうという状態。
ただただ、見つめてカメラのシャッターをきる事しかできなかった。
汽車は進んで、どんどん周りには何もなくなった。
見渡す限りの砂と山。
爆弾の破片も見える。
これからこの国はどうなって行くんだろう。。。
20年後30年後に、またきっと訪れたいな。
でも日本のようにはなってほしくない。
自然と人とが共存して、ケニアみたいに笑顔がいっぱい。
そんな国になっててほしいと思う。
そして!!!エジプトにやってきた!!
超世界史マニアだったべるにはもうヨダレもん★w
まずはツタンカーメンのいる博物館に行ったのだけど・・・
絶句。。
人、多すぎ。
ガイジン、そのまたガイジン、そしてガイジンガイジン(うちら)
入るまでにどんだけの観光客を見たんだろう。
さすが、世界最古の観光地。
中に入ってさらに唖然。
いろいろありすぎ!!!
めっちゃランダムに、超貴重(であろう)歴史物がおかれてる。
しかも、説明とか、て・・・適当・・・。
なんの神様かわからんっちゅーの。
なんで半分鳥なん!?
しかも「惜しい」ツタンカーメン、何人いるの!?
あれじゃない、これはちょっとブサイク、
あのギンギラギンなのは何処!?
・・・と、エジプトの人に訊いて連れてってもらうと、
あ・・普通にあった!!!
しかもまたまた一段と人だかり。。。
感動する間もなく、一目見て疲れました。
でも、ホントに綺麗だった!
資料集、そのまんまw
そしていよいよ!ピラミッド★★
・・と思ったら、あれ、ビルの向こう、あれ?
もう見えてるやんっ;;
カイロはやっぱり大都市で、おっきな建物に埋もれて
なんの前置きもなくピラミッドちゃんはいました。
ここでもまた人人人。。。。
詳しくは、帰ってから写真とともに。
〓〓〓〓
ちょっと最近、疲れ気味。。。
過食は「してない」けど、気分的な過食は何回もしてる。
そのたびに、一番空いてるトイレに篭る。
こんな事。一番あってはいけないのに・・・!!
わかってる。ピラミッドを見て感動したからって、
急に治るモノじゃないって事は解ってる。
でも、悔しい。
まだ部屋の子にも打ち明けていない。
一人で心の中で泣いて叫んで、また次の日がんばるだけ。
体重なんてどうなったかわからない。
国に行くたびに、普通に食べられるんだけど・・・
船に戻ると、食べ過ぎた後悔の気持ちと食べたくない気持ち、
でも人の目が気になって気になって・・。
食事に関しては、今ホントに困ってるかもしれない。
ごめんなさい。
1/3以上が過ぎたのに。
何も変わってないのかな、あたし・・・・。
正直に言うと。
日本に帰りたい。ひとりになりたい。
誰もいない部屋で思いっきり過食して吐いて、泣き叫びたい。
元気でいたくないのかもしれない。
こうやって不完全でいて、心配されたいのかもしれない。
ずっともう、頑張るなんてことしたくないのかもしれない。
逃げたくて逃げたくてたまらないのかもしれない。
そんな事を考えると、怖くて怖くてたまらない。
日本に帰って、旅を許してくれた親に応えられるだろうか。
周りの人を納得させるくらい、強くなっているんだろうか。
わからない。
わからない。
とにかく怖くてたまらない。
いつ壊れるかわからない。
これじゃいけないんだ。いいワケないよ。
お母さん、ごめんね。
今、元気じゃないかも、あたし。。
でもまた電話して、明るい声聞かせるから。
毎回寄港するたびに、
日記のように出来事を思いっきり書いた絵はがきを1枚、
詩みたいに気持ちをただ吐き出した絵はがきを1枚書いてる。
1枚めは実家へ。
もう1枚は自分のうちへ。
帰って、ポストに溜まった絵はがきを読んで、
どう思うかはあたし次第。
どうか、ああ、こんなことも思ってたなって、
笑える自分になってたいんだ。
お願いだから。
負けるな、自分。
途中で帰るなんて許さないから。
一周してみないと解らない!
あさっては、リビア。
もう盛りだくさん!!!
そして変わって、イタリア、フランス、カナリア諸島。
どんなことが待っているんだろう。
あたしのパワーは、どんなものなんだろう。
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