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2009年7月27日 Voice
しまった
昨日の事しか書いてなかった
このままでは明日の日記に今日の事を…

とか考えてしまいそうなので
一応数合わせ。

こういうのどーでもいいってなりたいのに。


今日はお休み。
月曜なので特に嬉しくないw

午後まではまた二度寝三度寝して、
(そりゃ お出かけ>普段の勤務 ってくらい
 前の休日は気力使ったもの。

 実は思ってたよりは疲れなかったんだけどね。
 肩肘も張らず、気も遣い過ぎず。)

片付けして、
嫌いな洗い物をちょっとして、
他の掃除して、
また洗い物ひとつして、
洗濯して、

…こんな感じでまた一日が終わってしまった。
月曜なのに生ゴミ出し忘れたし!涙)
やだ~…バナナの皮と納豆のコンボはヤバイのよ(汚くてすいません)。


プラスチックごみを纏めていて、ふと思った。
いつの間にか
コンビニの自社ブランドみたいな安めのお菓子とか
スーパーで売られているようなそっけないお菓子とか
そういうものが食べられるようになっている。
(滅多に買わないけど)

食品に対して
もしかしたら服以上かも、と思うぐらい
私はブランド(メーカー)に拘っていたから。
「新製品」「限定品」ついでに「名産品」「人気店」
そんなものには価値を見出す。

一度食べたものは二度と買わない。

めろんぱんだってそう。
カフェだって誰もが知ってる「あそこ」と言える所じゃなきゃ…
食べる事に価値があるのかが判断できない。
(だから 地元に新しくできた、みたいな所は目に入らない)
ファストフードも、メニューを一巡なんてしたら絶対行かない。

「これ美味しかったよ」
「あそこのあれ美味しいよね」
そう言えるようになればもう、その味は用済み。

唯一許すのは
「なつかしさ」を求めてるの、と言い訳できる時。
子供の頃食べたんだ、とか。

勿論 健康的なものは全て、飽きたってヘヴィーローテ。


前、帰り道へとへとでスーパーに寄って
母の好きなかりんとうに手が伸びた時には驚いた。
前の大阪行きでは、
コールドストーンでのアイス選びがちょっとぎこちなかったかも。


日常的な食品としての嗜好品って
赦されるのかな。


まあ、今の体型じゃ
「食べられるようになった」とか言って
喜んでる場合じゃないんだけど。
本当は食事も摂っている場合じゃないと思う。

本当に、誰から見ようとどんな事情があろうと
女として終わっている。
過去最高に醜い。
この状態で正気に戻ってしまわないように
逃げて、逃げて。 逃げた結果がこの様。

そもそも、過食になっちゃ元も子もない。
私にとって嘔吐は意味を成さないマイナス要素でしかない。
もともと「価値がある」としていたものを
過食に使ってしまった時の罪悪感といったら。

その分、大袋系の安いものは
過食に繋がる事が多いので、
普通に「食べられた」と思ってしまうんだろう。


どうやったら上手く付き合えるのか。
自分の手料理だって
「料理の練習だから!」とでも思わないと
食べる価値なんてない。

かこつけるのが大好きなんだろうな、
何事に於いても。


私は「何事に於いても」が好きだ。
だって
全ての事柄が例外なくリンクしているから。
毎日数珠繋ぎ。

そう、立ち上がって何かし始めたら
次々とする事が生まれてきて
最終的に出発地点に戻れない…(それちがう)。


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