「摂食障害という病気の
一番重い状態を体験する『覚悟』が自分にはない」
「嘔吐恐怖ともいえる状態だからって
ここまで足を踏み入れる『勇気』がないなんて」
「できないからと言ってしないままは甘えに過ぎない
『頑張れ』ば、『努力』すればできるはずなのに」
嘔吐なしからありというカテゴリになった時の
私の心理状態。
すべてが間違った意味の言葉で出来ていた。
でも、事実として
『できない』事がひとつ、目の前にあるという事が
許せなかった。
こんなに大きな壁があるなら
それを越えなければ
病気の本質も分かった事にならないのでは。
そう思うと
自分が力不足だとしか思えなくなる。
それならば
喉から血が出ても『努力』を続ける事だ。
毎日、毎日、毎日。
風邪でも吐いた事なんてなかったのに。
その気配を感じるだけで
嘔吐 の二文字を見るだけで、怖くて震えていたのに。
嫌悪じゃない、嫌悪に憧れるほど
恐怖だったのに。
子供の頃からずっとずっと。
だからこそ乗り越えなければと思ってしまった。
こんな形でも。
『できない』から 羨む・妬む。
あっち側の人達を。
何て醜い感情だろうと思った。
そう思った事を疑わなかった。
幻か何かのような努力が始まった。
通常の努力と違うのは
達成した後には虚無感のみが待っているという事。
あの時の、完全に間違った方向への頑張りは
今でも時々姿を見せては私を錯覚させる。
この理屈で言えば、
まだどん底ではないのだ。
嘔吐によって痩せたりはしていない。
一度たりとも。
圧倒的に過食が勝って、
その力関係は揺らぐ事がなかった。
今も変わる気配がない。
それでも
人体をコントロールできているかのような
神にでもなったかのような大それた錯覚は
定期的に襲ってくる。
あれだけ絶え間なく苦しんで
手に入れた能力をもっと生かさなければ。
そんな妄想まで。
「できない」が許せない
「しない」からって何
そんな醜い感情も
すべてが錯覚。
実体なんて何処にもない。
白か黒かで決めるなら
どす黒いグレーの私みたいなのは
決して多数派ではないのも分かっているから
何処にいれば良いのか分からなくて
もっと自然に嘔吐になる人もいれば
間違いなく痩せる手段だと信じる人もいるだろう
それなのに私は違う。それが恥でしかなくて
もっと『完全』に吐いてしまわなければ
もっと自ら苦しい状態に持っていかなければ
そればかり思う時もある。
こんな事を書いても
未だに折り合いが付けられた訳じゃない。
何処に居れば良いのかが分からない。
何処に居ても許されない。
理解なんてされる訳がない。
されたいとも思えなくなった。
そういう感情があるだけ
まだ救いようがあったのかもしれなかったのに。
本当はあるからこんな事を書いているのだろうけど
その事について何の感情も湧かないのが 辛い。
映画やドラマの嘔吐シーン。
自分をこの状態に追い込んでからというもの
遭遇してしまっても震える事が少なくなった。
少なくとも、逃げ出さずには済むようになった。
昔は逃げて走ったからか緊張からか
分からないほど鼓動が速くなって苦しかったのに。
今でも耐える事は必要。緊張も。覚悟も。
その二文字に対しても同じく。
これだけか。メリットは。
メリットなんてあってはいけないのだけど。
分かるのは
連日の嘔吐で体がぐったりとして動かない
頭が割れそうに痛い
体が重い
お腹が 空いた
寒い
寂しい。
一番重い状態を体験する『覚悟』が自分にはない」
「嘔吐恐怖ともいえる状態だからって
ここまで足を踏み入れる『勇気』がないなんて」
「できないからと言ってしないままは甘えに過ぎない
『頑張れ』ば、『努力』すればできるはずなのに」
嘔吐なしからありというカテゴリになった時の
私の心理状態。
すべてが間違った意味の言葉で出来ていた。
でも、事実として
『できない』事がひとつ、目の前にあるという事が
許せなかった。
こんなに大きな壁があるなら
それを越えなければ
病気の本質も分かった事にならないのでは。
そう思うと
自分が力不足だとしか思えなくなる。
それならば
喉から血が出ても『努力』を続ける事だ。
毎日、毎日、毎日。
風邪でも吐いた事なんてなかったのに。
その気配を感じるだけで
嘔吐 の二文字を見るだけで、怖くて震えていたのに。
嫌悪じゃない、嫌悪に憧れるほど
恐怖だったのに。
子供の頃からずっとずっと。
だからこそ乗り越えなければと思ってしまった。
こんな形でも。
『できない』から 羨む・妬む。
あっち側の人達を。
何て醜い感情だろうと思った。
そう思った事を疑わなかった。
幻か何かのような努力が始まった。
通常の努力と違うのは
達成した後には虚無感のみが待っているという事。
あの時の、完全に間違った方向への頑張りは
今でも時々姿を見せては私を錯覚させる。
この理屈で言えば、
まだどん底ではないのだ。
嘔吐によって痩せたりはしていない。
一度たりとも。
圧倒的に過食が勝って、
その力関係は揺らぐ事がなかった。
今も変わる気配がない。
それでも
人体をコントロールできているかのような
神にでもなったかのような大それた錯覚は
定期的に襲ってくる。
あれだけ絶え間なく苦しんで
手に入れた能力をもっと生かさなければ。
そんな妄想まで。
「できない」が許せない
「しない」からって何
そんな醜い感情も
すべてが錯覚。
実体なんて何処にもない。
白か黒かで決めるなら
どす黒いグレーの私みたいなのは
決して多数派ではないのも分かっているから
何処にいれば良いのか分からなくて
もっと自然に嘔吐になる人もいれば
間違いなく痩せる手段だと信じる人もいるだろう
それなのに私は違う。それが恥でしかなくて
もっと『完全』に吐いてしまわなければ
もっと自ら苦しい状態に持っていかなければ
そればかり思う時もある。
こんな事を書いても
未だに折り合いが付けられた訳じゃない。
何処に居れば良いのかが分からない。
何処に居ても許されない。
理解なんてされる訳がない。
されたいとも思えなくなった。
そういう感情があるだけ
まだ救いようがあったのかもしれなかったのに。
本当はあるからこんな事を書いているのだろうけど
その事について何の感情も湧かないのが 辛い。
映画やドラマの嘔吐シーン。
自分をこの状態に追い込んでからというもの
遭遇してしまっても震える事が少なくなった。
少なくとも、逃げ出さずには済むようになった。
昔は逃げて走ったからか緊張からか
分からないほど鼓動が速くなって苦しかったのに。
今でも耐える事は必要。緊張も。覚悟も。
その二文字に対しても同じく。
これだけか。メリットは。
メリットなんてあってはいけないのだけど。
分かるのは
連日の嘔吐で体がぐったりとして動かない
頭が割れそうに痛い
体が重い
お腹が 空いた
寒い
寂しい。
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