泣かせて

2011年1月10日 日常
明けていました。
私は何も。



今文章を書いたら泣いてしまいそうだ。
でも
泣きたくても泣けなかったから書く。


多忙をきわめ、
年末ラッシュで遅れに遅れた夜行バスに
…乗ったのが確か29日夜。

30日のまだ暗い明け方に
地元の駅に着いた。

最後に見てからそんなに経っていないのに
様変わりしていて訳が分からなかった。
たった3ヵ月離れていただけなのに、
迎えに来てくれた母を見た時も
千切れそうに尻尾を振る犬も
フィルターがかかったように久しぶりで。



そして翌日大晦日。
父も弟も揃った。
ここで私は

…超発熱。

元旦になる前に39℃。


それだけ。
私の帰省は、それだけ。

デジカメは、自分の手土産と
年明け前の実家で止まっている。


食い意地は張っているから、
父の蟹も
良いお肉も
何も手伝えなかった母のおせちも
どうにでもなれとお酒まで
有難くいただいたけれど
味の記憶が無い。

やっと外に出たのはついこの間。
7日?8日?
それも分からない。

3日に予約していた夜行バスにはもちろん乗れず
家族も家にいなくなり、
独りで完全に「逆戻り」を体験。

引きこもっていた頃の感覚。
何もかも一瞬で戻って来て。

そりゃ、たった3ヵ月だものね。


怖かった。

足をすくわれて何処までも滑って行きそうだった。

熱が出た後って誰でもこうなはず。
鬱状態になるはず。

だから大丈夫、大丈夫と言い聞かせて
持って行っていた課題をやるために
日が高い頃から薄暗くなるまで
いや、真っ暗になって母が帰って来るまで
ひたすらPCに向かっていた。


これではいけない
二度と元に戻れなくなる、と焦りながらも
バイト先には勇気を出して
休みを延ばして貰った。

まだ完治していないと言って。
(それは本当)

母と二人で近所にショッピングに行って
食事をして。
実家に引きこもっていた頃のコースとは少し違って
絶対に変装なしでは行けなかったエリアを
母の顔の広さにもビクビクすることなく歩いた。

それはそれは、楽しくて。
涙が出るほど楽しくて。


それまでの意識朦朧とのギャップもあり
全てにおいて不完全燃焼な年末年始もあり
人肌が恋しくて恋しくて。

今回こそ、思いっきり甘えたかった。

でもそこは私。

抱き合ってもいないしベタベタもしていない。
したくてしたくて堪らなかったのに
言えなかった。
またできなかった。

昨日の夜、あらためて取った夜行バスに乗るまで
何もできなかった。

沢山してもらったのに
何もできなかったと思ってしまう。

バスに乗った瞬間、
猛烈な鬱と気分の悪さが襲ってきて。

…やっぱり病みあがりのせいだ、と思いこもうと
必死で涙を堪えた。


自立、
できたと思ったのに
まだ母に触れて欲しいと思ってしまう
そんな自分が情けないのと
やっぱり諦めきれないのと。

パニックになりそうだった。
吐きそうだった。
息ができなくて、よっぽど降ろしてもらおうかと思った。
消灯された瞬間、怖くて怖くて怖くて。

音楽も聞きたくない。
何も見たくない。
でも目をつぶると恐怖が襲う。

このままバスが、私だけを放り出せば良いのに。
私の座席だけ、大事故が起きれば良いのに。
誰にも気付かれずに。

もう精神が極限状態だった。


やっぱり病院に行かなきゃ生活できない?
薬が要る?やっぱり私は正常ではない?
なのにどうして東京に向かっているの?
あれ?
独り暮らしなんてしてたっけ?
どうして?
いつから?

急に現実よりも現実味のある場所に落ちた感覚。
今、大声で母と話したい。
寂しい。
寂しくてたまらない。

バスは満席なのに、誰も私を知らない。
以前は知り合いばかりな気がして
マスクで顔を隠さないと乗れなかった地元のバスなのに。




…そんな事が頭を支配していて
やっと本当の意味で?
それとも麻痺できて?
我に返ったのは最初の休憩だった。

よっぽど実家に電話をしようかと思ったけれど
思い留まれたことでスイッチが切り替わった。

そこからはもう、
東へ行くにつれて正気になったというか
…やっぱり麻痺したというか…。


まだ熱っぽいのに殆ど寝られずに
今日は通常運転。
朝から晩まで働いた。

正直、体力が限界なのは分かってる。
どうにかしなければ。
でもどうにかする体力も気力もない。

戻ってくるのか…?
あったのはいつだった…?


来年は将来に関係ある仕事をしていられるように
全力で勉強を頑張るしかない。
狭き門に入る。何としても。

それしか…
状況を打開する方法が無い。
だって、楽しいもん。
自分から逃げるには余りに勿体ない。


+++++++

落ち込みの原因は幾つもある。
信じられないことに
本当に実家から一歩も出られなかったので
Tちゃんにも誰にも会えなかった。
とうとう会えなかった。

まったく予想していなかった、こんな事。

トランクがぱんぱんになる程
気合60%ぐらいの「程良い」服を詰めたのが
馬鹿みたいで、惨めで惨めで。

帰り支度をする時もずっと
母には平気な顔をして、甘えるのも我慢しつつ
胃がひっくり返るほど憂鬱だった。

「東京から帰省」が久々だからって
どこまで夢心地だったのだろう。

体型も戻って、同級生とばったり会っても平気で
(実際は戻ってもいないし平気でもない)
楽しく久々に近所で遊んだり。

そんな妄想はやっぱり妄想だった。


そんなこともありつつ、
後悔は何故かやはり母に向く。

もっと手伝いたかったのに。
ケーキを焼きたかったのに。
一緒に台所でいろんな話をしたかった。
安心させたかった。
同時に、心配されたかった。

進歩のなさに、何度吐き気を覚えれば済むのだろう。


もう諦めなきゃ、忘れなきゃ。
何歳だと思ってるの。




とにかく、戻ってきました。
もう泣きごとは言いません。外向きは。
此処には書いてしまわなきゃいけないのだけど

そんな体力もあるかどうか分かりません。

私は今、
ギリギリです。

ここの所ずっっっとだけれど。
もう慣れた。慣れろ。

来月には東京で両親と会える。
一瞬だけど、一緒に行きたい場所が沢山ある。


その用事も
「同い年の従姉妹が結婚」という
何とも胃が痛いものなんだけど…。

考えたら負けだ。
間違っても後悔はしていない、けれど

楽になりたいと
時々思ってしまうのが辛い。
だから本当に毎日毎日辛い方が

安心する自分もいる。

意味が分からないけれどそれはいい。
それはいいの。


ただ、
寂しくて頭がおかしくなりそう。
本当におかしくなりそう。

誰でもいい。
今の私には誰だっていい。
けれど
私でいいという人がいない。
誰もいない。
きっといない。

すぐに悲鳴を上げるこの身体が憎い。
何もかも忘れて動き回っていたい。
ずっと忙しくしていたい。

心がついて行かない。
だから息が切れる。

どうすればいいのか分からないから
どうにもしない。できない。


これが今年の年末年始。
よし、たっぷり泣いた。
頬が涙で固まり始めた。
文章になっていないけれど、これでいい。

これ以上まとめられない。
自分の声がまとめられない。

叫びたい。

いつ病みから上がれるんだろうか…。

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