長くなります。
泥みたいに時間が過ぎました。
ずっと、ずっとメイクなんてしていません。
日焼け止めも塗っていません。
母と以外、喋っていません。
わずかに昨日までいた弟。
母も忙しくて、
ほとんど話せていない
父の所へも正味1日とちょっと
おばあちゃんにも会いに行けなかった
=前の友達と会えていない
そして同級生とも会っていない。
だけど、ゆっくり、ゆっくり噛み締めるように
過去の自分
ほんの数年前までの自分と向き合っている。
いや、背けてはいるのだけど。
向き合いすぎると前に進めなさそうで怖くて。
気にしないよう気にしないよう、
「無」の時間を過ごしています。
ただ、曲がり角ってこと。
それだけなんだと思う。
すべてが転換期。
生活的にも将来的にも年齢的にも。
家族のあり方も。
あんなに「憎んで」いたかもしれない祖父母もボケて
親戚ともいがみ合っている場合じゃなくて。
それでも口は聞いていないけれど。
それから
ネットでの居場所というものも。
日記やブログの意義も。
(そもそもネットってもの自体どれだけ変わったか)
写真というもの、音楽というもの、
自分の趣味、理想像、こだわり…
もちろん病気も。
食事というもの。
人間の生活というもの。
私の生活、というもの。
すべてが「今」変わっている。
変わるというのは辛い。
変わってばかりだったはずだけど
今が一番大きい。
考えるつもりもないけど「人生」という単位がのしかかって
そう思うと
今ほど大きな転換って、ないのかもしれない。
…感じてはいたけれど
実感してしまったんだと思う。
ふっ、とすると泣けてくる。
震災でまた泣けてくる。
いいんだ。泣く。
そういう時期なんだ。
こういう時期なんだ。
こんな時があって次があるんだ。
泣いていいけど負けちゃダメだ。
東京へ戻ったらすること。
ある人と会う。これは新しいこと。
病院へ行く。これは立ち止まること。
そして、バイトと学校に復帰する。
これは、当たり前のこと。
ここだけの話ね、
最近結婚したくてたまらなかった。
相手がどうとかじゃない。
自分を固定したくて。
何かに責任をもちたくて。
いつもそばにいる誰かが必要で必要で。
それだけで。
でも、その思いも消えた。
私はまだ子どもだ。
私にはまだ到底ムリだ。
甘える意味じゃなく、
子どもとしてやり残したことがこんなにもあった。
こんなまま本当の意味の大人になったら
間違いなくまたつぶれる。
もっとつぶれる。
もう、焦らない。
+++++++
実は、不規則で滅茶苦茶で逃げてきた
先月までの生活のせいか、
(過食嘔吐もアルコールも含む)
首に大きなしこりができていて二度病院へ行った。
二度のうち一度が
10年前に入院したところ。
わざとそこにした。
ちょうど、10年だった。
あの入院がなかったら
今の私はいない。
否定的な意味じゃない。
すべてが無かったと言える。
あの時、抜け出して潜んでいた川原を歩いた。
夏の蒸し暑さは10年のうちに段違いになっていた。
病棟は改築されていて
ドロドロの思い出しかない売店も様変わりしていた。
家にばかりいて
すっぴんで太って
10年の間に視力もずっと悪くなって
そんな今の私が、うろうろと病院を見て回っているのは
あまりにおかしな光景だったけど
いろいろ落ちていて。
落としたんじゃなく、わざと置いてきたものがありすぎて。
涙も出なかった。
なんていうんだろう、あの時の感情は
私にも分からない。
さて、次だ。
次へ行かなきゃ。
祖母と喋って
古いピアノを弾いて
犬をなでたから
ここからは母の帰りを待って
ごはんを作ろう。
…本当にものすごく太った。
でも怖がらない。
別にもう、見られてもいい。
明日はきっと、一人小旅行をするんだ。
今日は朝から雷と雨でやめてしまったけれど。
…それもまた後悔しているんだけど。
その代わりにまた泣けたから。
明日はきっと。
私はここにいます。
いい写真が撮れたらPHOTOにのっけて
自分で見返します。
まだここにいます。
しがみつかないだけ。
ただ、久々に書くと吐き出しすぎて…文章が病みまくりで
気持ち悪くなってしまってごめんなさい(´・ω・`)
そう
東京へ引っ越すと決めて
部屋探しも兼ねて母と東京へ行った日から
もうすぐ一年なんだ。
そういう意味のスカイツリー画像。
泥みたいに時間が過ぎました。
ずっと、ずっとメイクなんてしていません。
日焼け止めも塗っていません。
母と以外、喋っていません。
わずかに昨日までいた弟。
母も忙しくて、
ほとんど話せていない
父の所へも正味1日とちょっと
おばあちゃんにも会いに行けなかった
=前の友達と会えていない
そして同級生とも会っていない。
だけど、ゆっくり、ゆっくり噛み締めるように
過去の自分
ほんの数年前までの自分と向き合っている。
いや、背けてはいるのだけど。
向き合いすぎると前に進めなさそうで怖くて。
気にしないよう気にしないよう、
「無」の時間を過ごしています。
ただ、曲がり角ってこと。
それだけなんだと思う。
すべてが転換期。
生活的にも将来的にも年齢的にも。
家族のあり方も。
あんなに「憎んで」いたかもしれない祖父母もボケて
親戚ともいがみ合っている場合じゃなくて。
それでも口は聞いていないけれど。
それから
ネットでの居場所というものも。
日記やブログの意義も。
(そもそもネットってもの自体どれだけ変わったか)
写真というもの、音楽というもの、
自分の趣味、理想像、こだわり…
もちろん病気も。
食事というもの。
人間の生活というもの。
私の生活、というもの。
すべてが「今」変わっている。
変わるというのは辛い。
変わってばかりだったはずだけど
今が一番大きい。
考えるつもりもないけど「人生」という単位がのしかかって
そう思うと
今ほど大きな転換って、ないのかもしれない。
…感じてはいたけれど
実感してしまったんだと思う。
ふっ、とすると泣けてくる。
震災でまた泣けてくる。
いいんだ。泣く。
そういう時期なんだ。
こういう時期なんだ。
こんな時があって次があるんだ。
泣いていいけど負けちゃダメだ。
東京へ戻ったらすること。
ある人と会う。これは新しいこと。
病院へ行く。これは立ち止まること。
そして、バイトと学校に復帰する。
これは、当たり前のこと。
ここだけの話ね、
最近結婚したくてたまらなかった。
相手がどうとかじゃない。
自分を固定したくて。
何かに責任をもちたくて。
いつもそばにいる誰かが必要で必要で。
それだけで。
でも、その思いも消えた。
私はまだ子どもだ。
私にはまだ到底ムリだ。
甘える意味じゃなく、
子どもとしてやり残したことがこんなにもあった。
こんなまま本当の意味の大人になったら
間違いなくまたつぶれる。
もっとつぶれる。
もう、焦らない。
+++++++
実は、不規則で滅茶苦茶で逃げてきた
先月までの生活のせいか、
(過食嘔吐もアルコールも含む)
首に大きなしこりができていて二度病院へ行った。
二度のうち一度が
10年前に入院したところ。
わざとそこにした。
ちょうど、10年だった。
あの入院がなかったら
今の私はいない。
否定的な意味じゃない。
すべてが無かったと言える。
あの時、抜け出して潜んでいた川原を歩いた。
夏の蒸し暑さは10年のうちに段違いになっていた。
病棟は改築されていて
ドロドロの思い出しかない売店も様変わりしていた。
家にばかりいて
すっぴんで太って
10年の間に視力もずっと悪くなって
そんな今の私が、うろうろと病院を見て回っているのは
あまりにおかしな光景だったけど
いろいろ落ちていて。
落としたんじゃなく、わざと置いてきたものがありすぎて。
涙も出なかった。
なんていうんだろう、あの時の感情は
私にも分からない。
さて、次だ。
次へ行かなきゃ。
祖母と喋って
古いピアノを弾いて
犬をなでたから
ここからは母の帰りを待って
ごはんを作ろう。
…本当にものすごく太った。
でも怖がらない。
別にもう、見られてもいい。
明日はきっと、一人小旅行をするんだ。
今日は朝から雷と雨でやめてしまったけれど。
…それもまた後悔しているんだけど。
その代わりにまた泣けたから。
明日はきっと。
私はここにいます。
いい写真が撮れたらPHOTOにのっけて
自分で見返します。
まだここにいます。
しがみつかないだけ。
ただ、久々に書くと吐き出しすぎて…文章が病みまくりで
気持ち悪くなってしまってごめんなさい(´・ω・`)
そう
東京へ引っ越すと決めて
部屋探しも兼ねて母と東京へ行った日から
もうすぐ一年なんだ。
そういう意味のスカイツリー画像。
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