とはずがたり

2014年5月27日 Voice
自分の身の上話や過去の栄光や苦労話や自虐を
語って語って語っても飽き足らないどころか罪悪感もなく、
嫌がられていないか気にすることもないから
大人数の前でも面白おかしさを交える余裕すらあって

そんな人が心底うらやましい。
うらやましいってのは違うな
やりたいと、思わないから
でも、どうしたらそうなれるのか分からない。

自分で言うのもなんだけど
少なくとも身近の誰よりも波乱万丈だし
「普通」と程遠い人生を送ってきたし
いま「普通」に見えるのだとしたら
それは嬉しい、と思わなきゃ、と思っている。

語るのを聞いても、面白さが加わってるならいいじゃないと思う。
愚痴を垂れ流すのは問題外だけど。


ただ、
なんだろう

何を聞いても驚かない、感心はしても感情は激しく動かない
仏のような顔で「うんうん」と頷くしかない
すごいね、とかステキだね、とは思っているのに

知ってるよ。
そうだよね
そうなのかー
…それしか。結果「うんうん」と言うほかない。

達観してるとは言わない。
なんか、無感動。
それは自分の事に対しても。

凄いすごいと言われても、今更何がか分からない。
普通じゃないのが普通だから
語るまでもない。まして面白おかしくなんて語れない。
それなりに苦しいから。
語れたとしたら、全部丸裸になる時だから。

他人を前にして壁を取っ払って話すほどの度胸もない。


でもたまに夢見るんだよね
洗いざらい話して誰かが面白いと感じたり感動なんてしてくれたら
どんなに報われるだろうって

冗談じゃなく
「本を出しなさい」と言われた事も何度もある
世界一周の話してよとか、
病気の事実だけ知ってる人はその事を指していたり
…それを振り返っていくのは一番大変な作業だけど
それすら一部だから、過ごす分には大変な事とも思わなくなっていて。
あとは
どうしたらそんな考え方ができるのとか
それこそ 仏だよねとか、深そうとか、強そうとか


でもね、もう
全部私には普通なんだよ
紆余曲折森羅万象、吸いも甘いも含めて全部
そうなったんだよ、何年も経って。

語れるってことはやっぱり
自分が痛みや違和感をおぼえたり
人と違うと自覚しないとできないことで

そんな次元じゃないんだよ

…そういうとまた
「達観した感を出したい人」としか見られないじゃない。



あーあ
おばあちゃんになったら
ひ孫にでも話そう。いるか分からないけど。

言いたいのは結局



私の方が 私の方が 負けたくない 負けたくない
私を見て 私を見て 認めて認めて認めて

未だにそう思っている
自覚はあるけど認めたくないから仏の顔になってる節のある
ちっぽけな人間だってことだ

小さい事から逐一語れるのと
こんなギリギリまで秘めてしかおけないのと
どっちが人間が大きいんだろうね

あーあ。


+++++++

ひとつだけ言えるのは
いつも一緒にいる人はあまりに自分語りが好きってことだ

真逆よね
真逆。

疲れる。けどね
そういう人といると
自分語りはできなくてもその時その時の思いは吐き出せる。
罪悪感なく。
お互い様でしょってことで。

他人の人生インプットされてる分
アウトプットもしてやりますよ。

友達というにはいささか深すぎる
むしろ浅い所がとことん合わない
年代も見た目も趣味も全然違うし
お互い、かは分からないけど
例えば向こうは私の闇深い部分は全く理解できないだろう
私は期待していない
向こうは色々と私を買っている
そんな相違も数多いし感覚もズレている

なんだか楽な、そんな人です。


…異性でも恋人でもないです。
ちなみに。笑



あー、あれか。
他人を尊敬したいんだ、私は。

やっとたどり着いた

人生共にしたいって思える人がいたとしたら
尊敬できる人、なんだろうな。

それは人生経験の濃さとかでは決してない。
経験なんてひとつでいい。

何かひとつあればいい。

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